2003~2004年に不定期に連載。
座長 井生定巳のコラム
その1「芝居事始め~夢満開」
小倉で何代か続いた漁師の五男坊で育った私は、子どもの頃から海が大好きだった。
オヤジは終戦直後に亡くなり、休みには後を継いだ兄達の舟に乗せて貰って、
時々櫨を漕いだり舵を握って、大きくなったら舟の船長さんになるのが夢だった。
小学校時代は、宿題をしないで廊下に立たされる常習犯だった。
分からないわけではないが、海の広さに比べればちっぽけな事のように思えたのかもしれない。
そんな私が、中学生になった途端、俄然学校の勉強にめざめた。
ガイジンのような若い英語の先生に褒められるのが嬉しくて、興味を持つから分かる、
分かるから面白い、休み無しに毎日五時間は勉強していた。
結果は胸を悪くしてダウン。十五才の夏だった。
オフクロが心配して、京都郡勝山町の「胸の観音様」に病気が早く治るように願掛けしていたのを兄たちから聞かされたのは、ずっと後の事だった。
運良く高校には入ったが体調悪く一年休学、弟と同級生になり、体育の時間はいつも見学、修学旅行は弟と一緒。カッコの悪い高校生活を送った。
昭和三十五年、兄たちの援助で大学入学。
21時間かかって、六十年安保まっただ中の東京に出発。
いがぐり頭にズック。青雲の志といいたいところだが、十九才の少年には相当の緊張があった。
入学式当日、見るもの聞くもの珍しい、クラブ勧誘チラシをいっぱい貰って下宿で眺めていると、一枚の劇団勧誘チラシに劇団「こだま」「未経験者可」。
あれ、俺のことかなと、翌日部室を覗くとオイさんみたいな先輩が、
“君、クニどこ”
“ハイ、九州の小倉です”
“あ、そう”
「君」なんていう言葉が妙に新鮮で、そのまま稽古場に直行。
当時は新劇の影響が強く、稽古は毎日四時から九時まで百日稽古。
その真剣で凄まじい稽古風景に圧倒されて、まさに三日坊主。
“スミマセン私の来る所じゃありませんでした。辞めさせて下さい”
件の先輩は“マアマア”と連れて行かれたのがラーメン屋。
生まれて初めてのラーメンに結構感激もし、何となし義理も感じて、“春の公演だけはやらせて貰います” 。まさかこの一言が、四十年以上も芝居を続けることになるとは、知る由もなかった。
東京は世にいう六十年安保で騒然としていて、樺美智子さんの死に涙をし、デモか芝居かで悩みながらも、無事公演が終了。
三日、三月の例よろしく“これで辞めます”。“ マアマア”と今度は喫茶店でコーヒーをおごられて、もうがんじがらめ。
役者には興味がなく、舞台装置や舞台監督など裏方専門でやってきたことが後年役に立つことになる。四年生の夏、九州公演を計画。小倉、大分、延岡と生意気にも地方公演を実現、お陰で教育実習をさぼって、先生になる夢は頓挫。
昭和四十年、立派に五年かかって無事卒業、合併二年目の北九州市に帰り地元のホテルに就職し、必然的に兄が所属していた劇団青春座に入団することになる。
劇団青春座は昭和20年10月に創立され、今年で五十八年目を迎えたアマチュア劇団で、昭和49年に代表を受け継いだが、劇団の存在理由は地域にあると考え、「無法松の一生」「古賀政男」「杉田久女」など九州の題材を掘り起こす事を主な活動にしてきた。
長い活動の中で、地元劇団の合同公演、二度の東京公演、中国・大連公演を成功させ、「北九州市民文化賞」「サントリー地域文化賞」「福岡県文化賞」「文部大臣表彰」などを受けてきた。
平成5年には、「北九州演劇祭」を初代委員長として立ち上げ、昨年北九州演劇祭十周年記念「小倉城の女たち」を市民参加で公演、成功をおさめた。
地元劇団の活性化を図り、新しい才能も輩出して、北九州市は演劇の街として全国に知られるようになってきた。
そうして今年秋、待ちに待った「北九州芸術劇場」がオープンする。
北九州市には旧市にそれぞれ市民会館があり、多目的ホールとして役目を果たしてきたが、長年中心になる「劇場」建設を望んできた。それが実現する。
単なるハコモノが出来るだけじゃない。出会いと感動の「るつぼ」が出来る。「創造文化」の拠点ができて、この劇場は街を変える。北九州市が全国に誇れる文化の街になる。
43年も休み無しに走り続けることが出来たことを、今は亡きオフクロに感謝感謝。
私のこれまでの活動は、新しい劇場に立ち向かう助走に過ぎなかった。
19才の少年に戻って、加速をつけて走り出そう。北九州市が日本一の演劇の街になることを信じて。夢満開。
その2 北九州演劇祭の行く道
昨秋、北九州演劇祭10周年記念の「小倉城の女たち」のプロデューサー兼演出を担当した。地元劇団を始め、一般参加の市民、各種団体合わせて120人の出演者が、6ヶ月の稽古を経て、小倉市民会館の舞台に弾けた。
2千人を超える観客が、拍手を送り、参加者と観客は未だ余韻に浸っている。演劇祭の10年を締めくくるに相応しい公演だったと思う。
この成果を演劇祭にどう活かしていくか。キーワードは「市民参加」だろう。8月オープン予定の北九州芸術劇場オープニングラインナップが発表され、多種多様、いずれもワクワクする演目が並んでいる。北九州市に演劇文化の新しい波が起こるだろう。
でもでも芝居は「観る」と「創る」のふたつが必要。特に「創る」は継続した地道な活動が要求される。幅広い「市民参加」こそ、文化の裾野を拡げる事につながると思う。北九州市民は、毎年北九州芸術劇場の檜舞台を踏むチャンスがあるというのも、「北九州らしさ」じゃないかな。
その3 続けることに意味がある!?
その4 開演前はワクワクなのに!
その5 プロとアマチュア
その6 無法松の一場面で、小倉市民会館に幕
その7 舞台の魔物を追い払って、さあ本番だ
その8 100点は取れなかったから 2003.5.21
その9 一つの時代が終った 2003.5.26
その10 歌舞伎の凄さに学ぼう 2003.6.5
その11 サントリー地域文化賞の25年 2003.7.9
その12 北九州市が「都」になる 2003.7.18
その13 文化新時代の幕開け 北九州芸術劇場オープン 2003.8.10
その14 時間がゆっくり富山県利賀村 2003.9.23
その15 笑顔が素敵な紅花の国やまがた国文祭 2003.10.15
その16 本番目前座長の心境 2003.11.2
その17 劇場が芝居を変えた 2003.11.15
その18 劇場は出会いの場 2003.12.1
その19 困ったな、鳥インフルエンザ 2004.2.10
その20 嘉穂劇場の再建 2004.2.15