「平成神様会議」には昔の神様に加え、ウェブやケータイの神様も登場します。
意外と知らない神社について考えてみましょう。
その1 神社に鳥居があるのはどうして?
その2 神社に手水舎(ちょうずや・てみずや)があるのはなぜ?
その3 願い事を絵馬に書くのはなぜ?
その4 おみくじがあるのはどうして?
その5 ニニギノミコトと二人の嫁
鳥居は聖域と俗界の境界に立つものです。
ご神体を納める本殿のない神社はありますが、鳥居の無い神社はまずありません。日本人は、壮麗な社殿が建っていなくても、鳥居があれば、そこが神聖な神の領域であることを知ることが出来ます。
古代神道においては柱が重要な役割を果たしていました。
もともと日本の神様は、神殿の中に鎮座しているのではなく、神様の意志や人々の求めに応じて聖地や儀式の場などに降臨してくるものと考えられました。この時に神様が目印とするのが、柱状にそびえたつものでした。それゆえ、古代のマツリに最も重要な祭具は、神様の降臨を仰ぐためのものでした。これを依り代(よりしろ)といい、神道では特に「神籬(ひもろぎ)」といいます。
神を[「一柱、二柱」と数えるのは、これに由来するといわれます。
諏訪大社の御柱祭りはその名残です。正月の門松なども形式化した依り代です。
参拝の前には身も心も清める「みそぎ」が必要です。
「みそぎ」は黄泉より戻ったイザナギが日向の阿波岐原で身を清めたことに始まるといわれています。お風呂に入ったとか、葉を磨いただけではみそぎになりません。欲望や悪事で汚れた心を洗うことです。
手水舎は参拝者ののどを潤すものではなく、神前に進む前に手と口を清めるために設けられています。手水舎で手と口をすすげば「みそぎ」とみなされます。
手水舎の作法は、まず軽く一礼。
右手で柄杓を持って水を汲み、左手を洗う。次に左手に柄杓を持ち替えて右手を洗う。
再び柄杓を右手に持ち替え、左手の掌をくぼめてここに水を受け、これで口をすすぐ。柄杓には直接口をつけない。
口がすすぎ終わったら、左手を洗い、最後に柄杓を立てて柄の部分に水を流して柄を洗う。
ハンカチなどで手をぬぐったら、軽く一礼して終了。さあ、参拝です。
馬は5世紀ごろの古墳時代に大陸からもたらされました。豪華な馬具で飾られた馬は権力の象徴であり畏怖の対象でした。
馬はしだいに神様の乗り物と考えられるようになり「神馬」として神聖視されるようになり、こうした意識はやがてもろもろの願いごとをするとき、馬を神様に捧げる風習を生むようになりました。
願いごとをかなえて欲しいのは万人同じですが、すべての人が馬を献上出来るわけではありません。「生きた馬に代わるものを…」という意識が生まれ、土製や木製の馬形像を献上して祈願をする風習が生まれました。
しかし馬を献上することは勿論、馬形を作ることも出来ない庶民の間から、馬の姿を絵に書いて奉納する「絵馬」という祈願方法が生まれました。
おみくじは漢字で「御神籤」と書き、寺院では「御仏籤」と書きます。おみくじは「くじ」のひとつで、偶然を利用して、ものごとを機械的かつ公平に決めることです。おみくじはこの「くじ」に神意を求める方法です。
誕生したのは平安時代の末ごろとされています。物事の善し悪し、重要事項の決定、後継者人選、ものごとの順序の決定などの際、神様の意志を知るための方法としてはじめられました。鎌倉時代になって、神社でのおみくじが誕生します。
大吉、中吉、小吉、末吉。凶は入れないのが一般的ですが、稀に入っていることもあります。
おみくじは単なる吉凶判断ではなくあくまで神意のあらわれであり、今後の生活に活かすべきものです。大吉が出たら油断大敵。「あとは下がる」と考えて気を引き締めることです。凶が出たら「自分を見つめなおすチャンスをもらった」と考え、新たな出発点にすればよいのです。
読み終えたおみくじをすぐ樹木に結び付ける人が多いようですが、神様のメッセージとして自戒の意味で持ち歩き、新しい御神籤を引いたとき、神社に収めるのが最良のやり方です。
天孫降臨後、神の世界から地上へと移ったニニギノミコトは、ある日笠沙(かささ)の岬で、コノハナサクヤヒメという美女を見初め、使者をやって求婚しました。すると、サクヤヒメに加え、姉のイワナガヒメも一緒に嫁いできました。
ところが、イワナガヒメは容姿が醜かったため親元に送り返して、コノハナサクヤヒメと結婚してしまいました。
父のオホヤマツミは「イワナガヒメによって、御子の命が岩のように永遠であるように、コノハナサクヤヒメによって、御子が花のごとく繁栄されることを願ったが、イワナガヒメを返したからには御子の命は木の花のようにはかなくなります」と嘆きました。このためにニニギの子孫にあたる天皇家に寿命が出来てしまったのです。
しばらくして、コノハナサクヤヒメは懐妊しますが、一夜の契りで懐妊したことに疑念を抱いたニニギは、俺の子かと疑います。
コノハナサクヤヒメは潔白を証明する為、出入り口の無い産屋を作ってこもり、火を放ち、炎の中で出産して身の潔白を証明しました。
☆「平成神様会議」では、姉妹であるイワナガヒメとコノハナサクヤヒメの関係が、重要な意味を持っています。